パソコンなら、文字を選んで大きさを変えたり、行の間を広げたりできます。では、画面で編集できなかった頃は、どうしていたのでしょう。そこで使われた技術の1つが、写真植字、略して写植です。光とレンズで、紙に文字を焼き付けていました。文字を選び、読みやすく並べる組版の仕事を、道具と人の工夫から見てみましょう。
光とレンズで、紙に文字を写す

写植より前に広く使われたのは、金属の活字でした。文字の形を持つ小さな部品を選び、並べて、印刷するページのもとになる版面を作ります。大きな文字を刷るには大きな活字が必要なので、書体やサイズに合わせて部品を揃えなければなりません。
写植は、その文字を光で写す方法です。使うのは、黒い地に文字の部分だけ光を通す文字盤。ここに光を当て、レンズを通して、光に反応する印画紙へ文字の形を写します。紙に光を当てることを露光といい、そのあと現像すると文字が現れます。
同じ文字盤でも、レンズを替えれば文字の大きさや形を変えられます。文字のサイズごとに金属の部品を持つ方法とは、大きな違いですね。ただし、この機械が本や新聞を何千部も刷るわけではありません。まず印刷に使う文字の原稿を作り、次の工程へ渡す道具でした。
写植機メーカーの写研の歩みは、1925年の試作機までさかのぼります。光で写すという発想だけで、すぐに実用化できたわけではありません。文字の形を描くこと、その形を文字盤に収めること、狙った位置へ光を通すこと。文字のデザインと機械作りの両方が必要だったのです。
文字を選び、ちょうどよい間隔に並べる

手動の写植機では、人が文字盤から必要な文字を選びます。1文字を写したら、紙を動かし、次の文字を選ぶ。その繰り返しで文章を組み立てました。キーボードで入力する今とは違い、原稿の文字が盤のどこにあるかを探すところから始まる仕事です。
日本語には、ひらがなやカタカナに加えて、たくさんの漢字があります。そこで役立ったのが「一寸ノ巾」と呼ばれる文字の並べ方でした。漢字を形の特徴から探せる仕組みです。読み方だけに頼らず、見た形を手がかりに文字を見つけられました。1
文字を見つけたら終わり、というわけでもありません。文字と文字の間、つまり字間をどうするかも大切です。同じ言葉でも、間が開きすぎるとばらばらに見えます。反対に、詰めすぎれば読みにくくなります。原稿どおりの文字を出すことと、読みやすく見せることは、別の仕事でした。
金属活字は部品同士をぶつけて重ねられませんが、光で写す文字には、その制約がありません。文字の形に合わせて間を詰め、大きな見出しをまとまりよく見せることもできます。どこまで詰めるかは、隣り合う文字を見ながら決めるところ。機械を動かす人の目が、仕上がりを左右しました。
0.25ミリ刻みで、文字の大きさと位置を決める

写植の仕事では、文字の大きさを「級」、紙を動かす長さなどを「歯」で表します。どちらも1単位は0.25ミリです。たとえば16級の文字なら4ミリ。名前だけ見ると難しそうですが、文字と間隔を同じ細かな物差しで考えるための単位です。
「歯」という変わった名前には、機械とのつながりがあります。モリサワの解説によると、もとになったのは紙を送る最小の長さと、それを動かすラチェットの歯の幅でした。ラチェットは、決まった刻みで動きを送る仕組みです。紙を少しずつ動かす工夫が、文字の位置を指定する言葉にもなりました。
1行に何文字入れるかを考えるとき、文字サイズだけ決めても足りません。文字の間や行の間も含めて、ページに収まるかを見る必要があります。大きな見出しと小さな本文を、どう組み合わせるか。数字は、その仕上がりを考える手がかりにもなりました。
注文する人と、実際に文字を組む人が別の場合もあります。「少し大きく」「もう少し空けて」だけでは、思い描く仕上がりがずれるかもしれません。単位を共有していれば、大きさや間隔を数字で伝えられます。写植は光を使う技術ですが、紙の上の距離を揃えるための仕組みでもありました。
手で選ぶ作業から、データで指示する作業へ

新聞や本の長い文章を、1文字ずつ手で選ぶには時間がかかります。そこで進んだのが、文字を自動で選んで写す機械の開発です。写研は1965年に新聞向けのSAPTON-N、1968年に一般向けのSAPTON-Pを発表しました。人が選ぶ作業の一部を、機械に任せるようになったのです。
ただ、文章を機械に渡すだけでは、ページは完成しません。どの書体を使うのか、どの大きさにするのか、どう揃えるのか。こうした指定も必要です。写研のSAPCOLは、文字のデータに、その並べ方の指示を加えるための言語でした。人が考えた紙面を、機械が扱える指示に置き換える仕組みです。
さらに、文字の形を持つ場所も変わっていきます。ガラスの文字盤だけでなく、小さな点の集まりや輪郭のデータとして文字を持つシステムが登場しました。今のパソコンで使うフォントに近づいていく変化です。写植とひと口にいっても、ずっと同じ道具を使い続けていたわけではありません。
それでも、自動化と同時に手動機がなくなったわけではありません。1987年にも、写研から手動機PAVO-KYが発売されています。大きな文字を出す用途などで、手動機も使われていました。新しい機械が出た年と、古い仕事が終わった年は、同じではないのですね。
パソコンに変わっても、読みやすさを考える

1990年代以降、組版の主役はDTPへ移っていきました。2 DTPは、パソコンとレイアウトソフトで印刷用のページを作る方法です。文字を大きくしたり、位置を変えたりする作業を、画面で確かめながら進められます。文字盤や印画紙を使う工程は、しだいに出番を減らしました。
この変化も、ある日に全部の機械が入れ替わった出来事ではありません。手動で文字を選ぶ方法、自動で写す方法、文字のデータを使う方法が、重なりながら使われてきました。古い写植機の見た目だけで考えると、その間にも道具が進化していたことを見落としてしまいます。
道具が変わっても、読みやすいページを作るには考えることが残ります。見出しはどのくらい大きくするか。文字や行の間をどれくらい空けるか。詰まって見えるところはないか。操作を簡単にできることと、ちょうどよい仕上がりを選べることは、やはり別の話です。
写植の仕事を振り返ると、技術が変わるとは、昔の技能が丸ごと消えることではないと気づきます。レンズを替えたり、紙を送ったりする作業は減っても、文字の並びを見る目は今も役立ちます。身近な本やチラシを眺めるとき、文字そのものだけでなく、その間の空きにも目を向けてみたくなります。


