「親ガチャ」という言葉が世間をにぎわせている。
例えば、こんな親だったら、こんな子供だったら、「親ガチャ失敗」といってよいのだろうか。
親に対する不満を親ガチャで片づけられたらいいなとも思った。
豊かな子供時代

とある方への取材で、親ガチャという言葉につながったため、今回のタイトルにからめた記事にした。
その方は、子供時代は非常に豊かだったという。
父親は会社の社長。のちに知った話では、月に数百万程度の給料があり数十年前のニュータウンブームで某ニュータウンに戸建てを構え、ご自身も学生時代には有名私立に通っていたという。
学校は私立で都会にあるが自宅は自然の多い、のどかな場所。
休日には近所の池で釣りをしたり、森に入って宝探しをしたり。
学校生活とのギャップもあり、非常に有意義な生活だったという。
すこしずつずれる歯車

小学校低学年ころまでは楽しく毎日を送っていたが、突然、父親が心臓発作でなくなる。
本当に突然。
前触れもなく突然。
毎日、都内の学校へ通うため電車で通学していた。父親も同じ電車で職場へ向かう。
いつも朝は父親と一緒。
毎日、駅にあるキオスクで父親は新聞や週刊誌を買う。
キオスクの店員のおばちゃん。もう顔なじみだった。
「お父さん、今日は週刊ポストね。」
「僕はガム?」
父親が何を買うかわかっていたし、学校にガムをもっていってはいけないことも知っていて、毎回ガムを勧める。
そういうおせっかいなおばちゃんが嫌だったけど、父親は逆に上機嫌で週刊ポストを買う。
商売上手なおばちゃんを応援していたのかもしれない。
父が亡くなった次の日もすぐに、「お父さんはどうしたの?」。
おせっかいなおばちゃんは本当に嫌いだった。
失われる家族との時間

父親の会社を母親が引き継ぐ形になり、今まで家にいるのが当たり前だった母親は学校から帰っても家にいない。
家に帰るとおじいちゃんがリビングでテレビを見ている。
おじいちゃんは一番悲しかったかもしれない。
自分の息子が自分よりも早く亡くなり、その妻は専業主婦から働くことに。
自分は老いて、助けることもできず。
毎日遅くまで働く息子の妻に「電車だと大変だろうからタクシーで帰ってくればどうだい?」
会社から家までタクシーで帰ってきたらお金が無くなってしまう。
そんなことわかってるはずなのに、そうとしか言えないくらいやるせなかったのかもしれない。
今思うと、みんなどうにかしたかったし、どうにかなりそうだった。
深くなる傷跡

家族との時間が失われ、言葉の重みがわからなくなってくる。
母親に強くあたることもあったし、母親が一生懸命働いていることも分かろうとしなかった。
社会人になり、数年後、自分のやりたいことが少しずつ明確化していく。
今までの仕事を変え、新しいことに挑戦する意欲がふつふつとわいてくる。
そして、初めての転職。
いろいろなことを調べ、自分なりに解決していく。
そして、進みたい方向へ前向きに舵を切ろうとしていた。
しかし、思うように舵は切れない。思ったよりやりたいことはやれることではなかった。
ことごとく失敗する転職活動。
どこも受け入れてくれない。
それまでの貯金は一気にそこをつき、やむを得ず実家にかえることに。
母親には強く当たっていたし、逃げるように家を出た。
だけど、こまったら助けてくれるだろう。そんな軽い思いで、母親に連絡する。
そう、母親は受け入れてくれる。
受け入れてくれる。何があっても受け入れてくれた。
一緒に頑張ろうと、転職を後押しもしてくれる。
知らず知らずに母親と自分自身の心を深く傷つけていた。
素直になればいいのに。
知らなかったこと

もっともっと、母親は健やかに暮らしていると思っていた。
自分が寝静まると母親は家をでる。
朝になると帰ってくる母親に聞いてみる。
「何をしているのか」
自分が帰ってきたことで生活は苦しく、働いていない自分は家にお金も入れていない。
誰かをささえられるほど豊かではない。
深夜のバイトを決め、昼間働き、夜はファミレスで皿洗い。
週に3日ほどそんな日がある。寝ずに次の日、仕事することもあるわけだ。
「私って寝なくても仕事できちゃうのよ」
笑いながら答える。
こんなに苦労をかけて、自分勝手に家を飛び出し、うまくいかなければ出戻り。
さらに迷惑をかける。
ここまでにならないと本気になれない自分が悲しかった。
かみ合いだす歯車

ようやく仕事も決まり、改めて自分の進むべき道を考え直し母親との向き合い方も分かってきた気がした。
月並みだけど、初めての給料は何か買ってあげよう。
母親に恩返ししよう。
そんな日々が訪れ、ようやく歯車がくるくると回り始めた気がした。
そして、母が亡くなる。
転職して仕事もうまくいってたし、楽しみさえ感じ始めていた。
そのころには母にはわかっていたのかもしれない。
もう、親の手を離れたのかなと。本当の意味で親離れできたのかなと。
母親は自殺だった。父親も自殺だった。
当時、子供だった自分には伝えられなかったが父親もそうだった。
何も不自由なかった。不自由だった日もあった。
今、両親のおかげで不自由なく暮らしている。苦しいときはある。悲しいときも。
でも、仕事は続けているし自分で生活もできている。
だけど、生活ができなくても、食事ができないほどお金に困っても、みんながリビングにいればそれだけでよかったのに。
苦しむ覚悟をしてほしかったし、今思うとつらくてもよかった。もう少し強く生きてほしかった。
自分ではないだれか

だれかの思いを理解することは難しい。
今思うとすべてないものねだりかもしれない。
ただ、どんなに苦しくても辛くても楽しくても、そこに共感してくれる誰かがいなければ、いてさえくれればそれで十分なことを失ってから気づく。
親ガチャ失敗。そういうふうに本人たちにいってやりたい。


