今回取材するキョウコさんは長崎県生まれ60歳。取材中、終始謙虚で奥ゆかしい。
「これしか」、「それだけが」、といった比較的ネガティブな言葉で取材に応じる。
しかし、その言葉の中には取材でしか伺えないキョウコさんの大きくも静かに燃え続ける魂の炎が垣間見えた。
美術の成績だけは…

初めに自己紹介を頂いた。
長崎県に生まれ、子供の頃から「美術の成績だけは良かった」と他が全くダメだと示唆するように含んだ言葉で語った。
事前情報として、経営者であり今もバリバリと仕事をこなすキャリアウーマンと伺っていたため、自信に溢れ、見下ろすように(完全な偏見だが)言葉を放つのではと懸念した。
しかし、初めの自己紹介で「美術だけは…」と謙虚に一つ一つ語られる言葉に安心感を得るとともに、一気に惹きつけられるような感覚があった。
これはもしかしたら一種の才能なのかもしれない。人を惹きつけるような話し方、親近感を得るような言葉選び。
なかなか困難な事かもしれない。
「経営者」と聞くと身構えてしまうような相手ではあるが謙虚な姿勢にもっと話したい、もっと聞きたい。そのように感じさせる。
というより、「もっと聞いてもいいんだ」と感じているのかもしれない。
仕事においても重要なことだ。
お客様と接する上で謙虚であることは安心感を生み、この人から商品を買いたいな、仕事を依頼したいな、と感じさせる。
自身に溢れ、スラスラと弁が立つ営業マンもそれはそれでスキルだ。
しかし、謙虚でいることですべての人から愛される存在になり得るかもしれない。
謙虚。これはすぐにでも身につけたいスキルの一つかもしれない。
40年近くクリエイティビティであるために

そんな、キョウコさんの話を続けて伺うと、なんとも「美術だけは」という言葉が引っかかるような経歴だ。
デザインに関する事柄に強く惹かれ美大に通い、卒業後はグラフィックデザインの道に進む。
地元の広告プロダクションに就職して2年という短い期間を経て、友人と会社を設立することに。
凄まじい、スピードと行動力がお話から伺える。
そんなバカなと話を制したくなるほどに、「美術だけは」の言葉がギャップとなる。
大学を出て、2年後に会社を設立。話だけ聞くとやはり身構えてしまう。
この取材そのものに伏線が散りばめられていて、徹底的にデザインされたのではないかとさえ感じてしまう。
そんな計算された構成の取材ではあるように感じたが、淡々と話されるそのエピソードは説得力がある一方で謙虚さの中に人柄を感じ一歩一歩納得しながらお話を受け止めることができた。
キョウコさんは続ける。「私にはデザインしかない。それ以外は楽しくないし自分を表現できない。」。
「デザインしかない」という言葉には「それしかできない」と、何か他人よりも不足しているといったニュアンスさえ汲み取れる。
しかし、仕事が自分の表現であると語る方は多くない。
アイデンティティとはデザインだと信じ、突き進む。結果、それが仕事だった。
好きな物のその先の「好き」

毎度、取材するたびに考える重要な事柄の一つが職種の中にあるカテゴリー。
カテゴリーの中には必ずサブカテゴリーがあり、サブカテゴリー同士は似て非なるものだ。
同じ職種の中でもさまざまなカテゴリーがあり、そのカテゴリーには自分に合う合わないがある。
キョウコさんも同様にデザインというカテゴリーの中でも「化粧品広告」というサブカテゴリーに強く興味を持っていたという。
そして、その方向に進んでいくことを止めず、そのサブカテゴリーに従事することとなる。
「自分のやりたかったグラフィックデザインを経験できた。」と語る。淡々と話すその言葉の真意は非常に重要だ。
デザインの中でもさらにその中の本当に携わりたかったサブカテゴリーを経験し、ある一つのマイルストーンを確実に踏みしめたわけなのだ。
そしてそれらの経験をスキルとし、今もなおクリエイティブという事象に立ち向かい続けている。
障壁のない道はない

順風満帆のように感じたこれまでの話ではあるが、経歴における苦労について伺った。
やはり会社を経営していく中で、顧客と案件とそれらの関係性に非常に苦悩したという。
どちらかといえば、案件を受注するというスタイルは受動的なものかもしれない。
それにより「安定しない」という言葉が一番しっくりくる。
常に綱渡りをしているような感覚だったかもしれない。バランスが取れている時は非常に滑らかに事が進んでいく。
しかし、ひとたびバランスを崩すとなかなか元の状態に戻れない。
そしてその状況は顧客という他人次第。
好きなデザインではあるがビジネスであるがゆえ、確かにそこにはジレンマが存在したという。
デザインをしたい、しかしビジネスである。それらがどちらかに偏ってしまうと何もかも失いそうになる。
ただ、それらの経験が彼女の炎をさらにさらに大きく燃え上がらせることとなる。
能動的でありたい

仕事をしていく上で、「案件」というのは非常に重要である。
いわば資産家の投資であるため、受注側はまとまった収益につながる。
今や子供でもインフルエンサーやYouTuberの言葉から「案件」という言葉を認識しているだろう。
それがどんなに重要なのかということも。
しかし、これは前記した通り受動的だ。
安定する時は安定するし、安定しない時は安定しない。
多くの企業は安定するように、安定するための努力をするだろう。
キョウコさんは能動的でありたいと考えたという。自分達が発信し、自分達のプロダクトを軸にビジネスを展開していく。
あるいはブランドを立ち上げることで、自分達が発注側になるかもしれない。
好きであるがゆえ、探求心は留まるところを知らず、これまでの自身のビジネス構造を変革するということも恐れない。
好きなものを好きと言い、やりたいことをやる。
そして変わりたい時には変わろうとする。
非常に純真で、シンプルで、それでいて少なくない人々はそれができなくて苦悩している。
それを諦めずに続けている。
それって本当に好きなことなのか

好きなものならば続けられる。諦めなければ必ず何かが形になる。と若者に伝えたいと語る。
例えば、好きなんだけどなんだか続かないなってことは往々にしてある。
でもよくよく考えれば、それをやってるとカッコイイから、それをやってると稼げるから。
何か邪念が少し混ざっている気がする。
本当に好きなことはなんなのか。好きなことと思っているそれは本当に好きなことなのか。
好きなことって簡単には巡り合えないし、簡単には仕事にできない。
結果として仕事にできていても、そこまでの道のりで違和感を持つことも。
それが違和感で終わらず、より良い形にしていくためのきっかけと感じられればそれは「好きなこと」なのだろう。
重要なのは好きなことを続けていくことで、自分が表現できているか。
自分のアイデンティティを感じられた時、それは継続できる「好き」なのだ。

