「孤独」という言葉は他人から言われれば後ろ向き、自分が使えば前向きな言葉に感じた。
人はどのような場面で「この人は孤独だ。」と思い、「おれは孤独だ」と思うのか。
仕事を中心とした生活

多くの方が人生の中で仕事をすることに多くの時間を費やすかと思う。
ただ、そのことを「仕事が人生の中心だ」と感じることとは違うのではないだろうか。
仕事をこなしつつも趣味がある人は趣味を人生の中心と考えるだろう。
わたしはとにかく沢山寝ていたいので、眠りが人生の中心だと答えることもある。
多くの時間を費やす事柄がそのまま人生の中心ととらえるには価値観の違いがある。
趣味を中心とした生活

趣味もさまざまあるかと思うが、熱中する趣味がある人が人生の中心を「趣味」と考えるのも一概のそうはいえない。
仕事の延長線上に趣味があったり、その逆があったり。
また、家族が中心と考えつつも何かの息抜きに、気持ちの切り替えに趣味へむかう時間を大切にする方もおられる。
「価値観」で片づけてしまえば簡単だ。要するにそこにはたしかに価値観が影響しているにも関わらず、それを差し置いて「孤独」という言葉を口にしてしまうことがある。
あの人は孤独だ

「あの人は孤独だ」という言葉を耳にした。
それは、家族を持たず仕事に打ち込み、自分の(発言した当人においては趣味などに費やす)時間を作らないことを示し、「その人生は楽しいのか」という示唆すら含まれた。
人は幾度となく出会いと別れを繰り返し、家族を持っても離れなければいけないこともある。
いま、この瞬間に何に情熱を注ぎ、何に時間を費やし、何に向かって走っているのか。
その先に何をみているのか。
そこまでを知りもせず他人に「孤独だ」と言い放つのは軽率だと考える。
近い将来、家族を持つこと、優雅に趣味の時間を使うこと、そのために今この瞬間は「孤独」なのかもしれない。
仕事が趣味だ

「仕事が趣味だ」。今回、お話を聞いた方はそのように話しました。
技術的で専門性の高い職種に携わっており、日々勉強が不可欠とのこと。
仕事の中で研究開発に時間を使う場合も多く、先進的な技術に触れることも多々ある。
帰宅すればそのことを自宅のパソコンで調べ、業務情報に影響がないよう配慮しつつ個人運営のブログにしたためる。
業務外での学習は趣味であり、業務に活かせる重要な勉強時間。
実際、このように時間を使うことは少なくないだろう。
ただ、それらのことがある一定の時間を超過した場合に、「仕事人間」「孤独な人」というレッテルを張られる。
それでも仕事が好き

孤独に感じることもある。しかし、楽しい。
仕事が楽しく、終わりがこない。
終わらないでほしいとすら考える。特に研究を必要とする職種の方々はそのようにおっしゃる方も多い。
一方で、そんなに仕事が好きでも趣味があり、家族があり、仕事以外の時間が重要な方もいる。
価値観なのかもしれない。
ただ、今この瞬間を切り取り「あの人は孤独だ」と突き放してはいけない。
その人の未来、または過去かもしれない。時間軸の中でどのような考えで「孤独」なのか考えてほしい。


