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nokoru ホーム技術と技能、人の記憶を残す図鑑

人の記憶

ウォール街の証券マンが描いた未来とは。家族、仕事、そしてリストラ。華々しい経歴に潜む苦悩。

今回取材したのはアメリカ人のユージンさん(60歳)。 ニュージャージー州で生まれ、ミシガン州で育つ。両親の仕事で引っ越すことが多く、アメリカをまたにかけた子供時代だったようだ。

川を挟んだ都市の輪郭と小さな鞄のイメージ

今回取材したのはアメリカ人のユージンさん(60歳)。
ニュージャージー州で生まれ、ミシガン州で育つ。両親の仕事で引っ越すことが多く、アメリカをまたにかけた子供時代だったようだ。

日本人には馴染みのない距離感(1000キロメートル以上)だが、幼い頃の引っ越しによって形成されたこの距離感はその後のユージンさんの生活に強く影響していくのかもしれない。

大学を卒業、新たな地で社会人へ

開いたスケッチブックと木製の小物を置いた学びのイメージ

ミシガン大学で経済と日本語を学び、いつしか日本に強く惹かれて行くユージンさん。
アメリカの文化に疎い筆者としては、超名門のミシガン大学で日本語が学べるのか...と少し日本人であることを誇らしくも感じつつ取材を続けた。

そんなミシガン大学での生活を終え、ユージンさんが選んだ職場はなんと日本。
当時、日本における金融業の緩和があり、日本でのビジネス展開を行う外資金融企業の参画が盛んだった。
とはいえ、ユージンさんのその選択に私は驚いた。幼い頃の引っ越し経験から、物理的な移動に抵抗がないのかもしれない。
また、日本に対する関心について非常に興味を感じたが、その話は別で取材したいと思う。

証券会社で機関投資家向けの営業マンとして社会人生活をスタートしたユージンさん。

米国および日本の顧客を対象に金融商品の営業マンとして、文字通り日米をまたにかけたその仕事は、誰もが憧れるような華々しいものだった。

順調に仕事を成し遂げていき、みるみるうちにその手腕で成長し、誰もが憧れるニューヨーク、ウォール・ストリートの証券マンへと成長を果たす。

日本とアメリカ、そして日本

雲の上に広がる空と飛行機の翼を描いたイメージ

大口顧客を対象に金融商品の取引を行うことは、非常にやりがいがある一方、責任も重大だ。

金額で言うと普通ならば想像もつかないような数字が飛び交い、それに伴う契約をかわしていく。

例えば、筆者であればその責任に押しつぶされてしまうかもしれない...
そんな責任・重圧に悩む日もあれば、日本に行ったりアメリカに行ったり、そしてまた日本へ。

話を聞いているだけでも疲れてしまいそうな...
全速力で駆け抜けていくような生活を続け、誰もが尊敬するような存在へと上り詰めていくかに見えた。

最大の苦悩

窓辺に置かれた一脚の椅子と閉じた本のイメージ

それこそ映画のような憧れのウォール・ストリートで仕事をバリバリとこなしていたユージンさんにふと聞いてみた。

仕事で辛かったことはありますか?
ユージンさんはすぐに口を開いた。

「リストラです。」

一体どう言うことだろうか。こんなにも順調に見えるユージンさんにリストラという言葉が馴染まない。
思わず聞き返しそうになるところ、ユージンさんは続けた。

「当時マネージャーだった私は社員のリストラに関する決断をしなければならなかった。この経験は人生の中で一番苦しい決断だった。」

2000年代初頭の景気動向に影響し、組織の再編成を余儀なくされたのはユージンさんが働く会社も同様だった。

今後、会社を存続させるために経営の方針をどのように舵を切っていくか。
商材の見直しや営業戦略の改変も求められた。
その中で、具体的にどの社員をリストラし、またそれによって会社をどう変革させていくのかを明確化しなければならなかった。

「今でも思い出します。辛く大変な決断でした。」

営業マンとして下積みを重ね、管理者として成長し、一見すると順風満帆のように見受けられた。

しかし、組織を見渡す立場の人間にはそれ相応の責任と、心の深く深くに刻まれるような過酷な決断も必要とするのだ。

さまざまな葛藤と努力

石畳の分かれ道と遠くの灯りを描いたイメージ

取材をしていく中で、華々しく非常にポジティブな内容が伺えたと感じていた。
しかし、誰しもが抱えているのは「苦悩」なのだ。

素晴らしい大学で素晴らしい経歴で、誰もが憧れるウォール・ストリートの証券マン。
その奥深くには今でも辛く重く澱む悲しい苦悩があったのだ。

今でも日米を飛び回り、全心全力で仕事に立ち向かうその姿は手放しで喜べない教訓もあるからこその 「今」 なのだ。

そして、ユージンさんが目指した次の新天地はカリフォルニア。
子供たちの教育などを考え、カリフォルニアに移り住みその頃には機関投資家から個人投資家に向けたビジネスへと変わっていく。

少しずつユージンさんは経営者としての準備をはじていった。
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そして、今、経営者として金融業界に携わる人間として日々苦悩し、もちろん時には笑い仕事に向かっている。

ユージンさんにとって仕事とは

窓辺の仕事机と隣の小さな机を描いたイメージ

そもそもなぜ金融業界に身をおくことを選んだのだろうか。

大学時代に経済を学び、金融業界に興味を見出したものの、多くの選択肢は自分では制御しきれない事実も感じたという。

「自分が選んだのではなく、選ばれたのかもしれない」

少しネガティブなニュアンスでユージンさんは語った。
金融業界以外の選択肢は?

「金融業界は広く、さまざまな選択肢があります。必要なスキルも全く異なります。金融業界の中でもいろいろな経験ができると感じています。」

業界の中でもさまざまな分野があり、楽しく感じることもあるしその逆もある。
必ずしもうまくいかなくても、その業界が自分にあってないのだな、という結論には至らないことをユージンさんから教えていただいた気がした。

ユージンさんは続けた。

「仕事は人生の中で非常に重要です。ただ、同じように大切なものもあります。」
「家族です。」
「しかし、それだけでもありません。」

「自分の好きなことに前向きになることです。」

始まりは些細なことかもしれない。仕事の中で顧客との接待の際にワインを飲む機会が多かったという。
初めはお客様に付き合わされて、、それがいつからからワインが好きになり、調べるようになり、ワインの奥にいる「土地」「人」に興味が湧き、面白みを感じたという。

また、さまざまな土地へ移り住み、カリフォルニアでは海が近いこともありセーリングの勉強をしているという。
ユージンさんは笑顔でこういった。

「夢があります。カリフォルニアから日本の下田までセーリングしたいです。」
「もちろん、家族と一緒に。」

取材に同席した息子さんからも笑顔が溢れた。

人には必ず道がある

古い木の根と新しい葉を描いたイメージ

ウォール・ストリートで働き、今では経営者。とだけ聞くと誰もが羨む人生に感じる。
しかし、その人生には必ず道があり、時に険しく遠回りもしてきた。

今でも辛く悲しい決断も乗り越え、家族とともに新しい夢のゴールを目指して進んでいる。
人には人の道があり、当人しか知り得ないストーリーがあるのだと、取材の大切さを実感した。

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