今回、取材するのは88歳になるけいこさん。
1世紀近い人生の中で、仕事、家族、そして戦争体験から何を感じ、どのように生きてこられたのか伺った。
今の普通ができない幼少期

88歳となるけいこさん、人生の中で重要な出来事はやはり幼少期に体験した戦争だという。
当時小学生だったというけいこさん。
学びの方針は戦争へ関するものに少しずつ変化し、「学ぶ」ことに辛さを感じたという。
思うように勉強することができず、また当時は大人たちからの圧力と友達との関係性など「今の普通」が普通でないことを感じさせた。
学びづらさ、そして食糧難により日々生きることが必死の連続。
そんな子供時代からその後の生き方に対する考え方は形成されていくのかもしれない。
戦争の影響は身近に

けいこさんも「戦争」の悲劇をひしひしと感じさせざるを得ない出来事を体験したという。
朝は普通に起きて、普通に学校へ行き、普通に寝る。
そんな日が訪れるはずだったとある日。
突然、すさまじい音と共に分厚い雲がかかったようにあたりが暗くなる。
何事か想像つかない中でも大人たちの大声で必死で逃げる。
そんな体験が1度だけあったという。
それが空襲。
後に、同級生の男の子がなくなったと聞かされる。
今の日本において想像できない出来事。けいこさんは強く「生きねば」と思ったのかもしれない。
大人になっていくけいこさんの話には強い前向きな思いが伺えた。
旦那さまとの出会い

そんな体験を重ねていきつつも、大人の女性となり、素敵な男性と巡り会うけいこさん。
電気工事関係の仕事を営む旦那さま。
戦時中に学んだ方々は仕事に対する姿勢が非常に前向きだ。
勤労奉仕などの影響もあったのかもしれない。しかし、愛する家族を支えることに仕事の必要性を前向きに考えるその姿勢は見習わざるを得ない。
電気関係の仕事を旦那さまと一緒に切り盛りしながら、日々幸せな生活を過ごしていたという。
けいこさんに改めて伺う。「辛かったことはなんですか」。
「お客様も素敵で日々楽しく仕事ができました。」
辛かったこともあっただろうが、終始朗らかなけいこさんは笑顔で仕事に前向きな姿勢を語っていただいた。
子供たちの想い

ここからは想像する。
この記事を書きながら私は考えた。仕事に前向きな両親に対して子供たちはどう想うのだろう。
私自身、母子家庭で母親は朝早くから夜遅くまで仕事をし、顔を合わせることはほとんどなかった。
母親と会えば構って欲しくて、どちらかというと気を引くために迷惑ばかりかけた記憶がある。
大人になって、自分が家族を作るとき奥さんには働かず専業主婦でいてほしいな。と考えることもあった。
必死な親の姿を見て、なぜ反面的に感じてしまったのだろうか。
「楽をさせたい」「家庭にいてほしい」。それは「仕事をしない」と等しいのだろうか。
仕事のことを語るけいこさんを見た時に自分の考えに疑問を感じた。
訪れる最大の幸せ

けいこさんの最大の幸せをたずねた。
すぐに口を開くけいこさん。
「孫の顔が見れたことです。」
孫が産まれる、それは同時に自身の子供が家族を持ち、幸せなことの証明。
また、自身の安堵にもつながるのかもしれない。
ひとつの節目に到達し、次のステップを歩むきっかけとなるのかもしれない。
新しいパートナー

80歳を過ぎ、愛する旦那さまとの別れを経験するけいこさん。
楽しく、前向きに続けた仕事もそれをきっかけに少しずつ縮小し、新しい人生への準備が始まる。
孫がけいこさんのために新しいパートナーを連れてきたのだ。
「ゼロ」。
芝犬のゼロ。今日から新しいパートナーだ。
消沈しかけていたけいこさんを支え、また別の楽しい生活が訪れたのだ。
外出が面倒に感じていたけいこさんもゼロの散歩のため、毎日一万歩近い距離を歩くという。
出会いは人の力になる。
友達、恋人、家族、子供、そしてペット。
全ての出会いが力になり、次の一歩へ前向きな心に変えてくれるのだ。

