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nokoru ホーム技術と技能、人の記憶を残す図鑑

技術と技能

電話交換機 人が電話をつないだ時代

受話器を上げると交換手につながった時代、電話局では人が回線を組み合わせていました。海外で生まれ、日本にも広がった手動交換の仕組みと、自動交換への移り変わりをたどります。

2本の布巻きコードが木の受け口に差し込まれた静物

番号を押す代わりに、電話局(でんわきょく)の交換手(こうかんしゅ)へ通話先(つうわさき)を伝えていた時代があります。交換手は交換台(こうかんだい)を操作し、かける人と受ける人の回線(かいせん)をつなぎました。電話を遠くの人へ届けるには、電話機だけでなく、局内で接続先を選ぶ仕組みも必要だったのです。

受話器を上げて、相手を伝える

手動で通話を取り次ぐ様子を象徴したベルと伝言札

電話が使われ始めたころ、受話器を上げても、相手の電話へ直接つながるわけではありませんでした。電話局の交換手を呼び出し、通話したい相手を伝えると、交換手が該当する回線へ接続します。初期の電話機にはダイヤルがなく、人が電話の行き先を聞き取ってつなぐ方式でした。1

こうした人の手による接続を、手動交換(しゅどうこうかん)と呼びます。電話線はそれぞれ電話局へ集まり、交換手が交換台を使って通話の経路を作ります。電話をかける人が相手を選び、電話局が信号を自動で処理する現在の方式とは違い、交換手の作業が通信網の一部でした。

電話局は、ただ声を中継する場所ではありません。加入者の回線を集め、求められた相手へつなぐ役目を担います。電話を使う人が増えるほど、交換台に集まる線も、交換手が取り次ぐ通話も増えていきました。

海外の交換局から、日本の電話へ

初期交換局を想像した19世紀のアメリカの町の街角

アメリカのニューヘイブンでは、1878年1月に商用の電話交換局が営業を始めました。米国国立公園局によると、最初の加入者(かにゅうしゃ)は21人でした。交換台は最大64人をつなげる設計でしたが、同時に通話できるのは2組までで、1回の通話を成立させるには6つの接続が必要でした。小さな電話網でも、人の操作と設備の両方が欠かせなかったことが分かります。2

その後、電話を使う人はすぐに増えました。米国国立公園局の記録では、最初の電話帳(でんわちょう)が発行された1878年2月には、加入者が50人に増えています。21人から50人への変化は、交換局が新しい利用者を受け入れる窓口にもなっていたことを示しています。電話の回線を増やすだけでなく、誰がどの回線を使うのかを整理する必要がありました。2

64人をつなげる設備だったという数字と、同時に通話できるのは2組だったという数字は、別の能力を表しています。回線へ接続できる利用者が増えても、同時に扱える通話数には限りがありました。初期の交換局を読み解くときは、加入者の規模と一度に運べる通話を区別して見る必要があります。

日本では1890年12月、東京と横浜で電話交換業務が始まりました。NTT東日本の沿革資料には、開始時の加入者数として東京155、横浜42、電話所(でんわしょ)16と記録されています。ここでいう加入者数は電話網の利用者数で、各家庭へ一台ずつ電話があったという意味ではありません。電話はまだ一部の人や組織が使う設備でした。3

交換局の考え方は海外で生まれ、日本でも都市の電話網を支える仕組みとして使われました。ただし、アメリカの初期の設備と日本の交換局が同じ機械だったわけではありません。国や時期、電話の方式に応じて、交換台や電話機には違いがありました。

回線をつなぐ仕事を、人が引き受ける

複数の電話回線をつなぐコードと交換台

手動交換では、交換手が通話先を確かめ、電話局の回線をつなぎます。ニューヘイブンの初期設備について、米国国立公園局は1回の通話に6つの接続が必要だったと記しています。この数字はその交換台についての記録で、世界各地の交換局が同じ構造だったことを示すものではありません。2

手動方式は、電話網が小さい間は柔軟に使えます。一方、加入者や通話の数が増えると、取り次ぎを待つ人が増え、交換台の能力にも限りが出てきます。人が1件ずつ相手を探して回線をつなぐ方法だけでは、拡大する電話網を支えにくくなりました。

電話交換の仕事は、通話をつなぐ技術と、利用者の名前や回線を扱う仕事の両方でした。相手の回線が分からなければ通話を始められず、話が終わったあとには接続を解除して、次の通話に設備を戻す必要があります。交換手は、利用者と電話局の設備の間に立ち、回線を使える状態に保つ役目も担いました。機械が自動で接続するようになると、通話ごとに人が回線を組み合わせる必要は少しずつ変わります。しかし、地域の交換局が一斉に同じ年に切り替わったわけではありません。

自動交換へ、段階的に移る

自動交換機のコイルと金属接点を象徴した静物

日本では、関東大震災(かんとうだいしんさい)後の復旧と手動交換の限界を背景に、自動交換機(じどうこうかんき)が導入されました。NTT東日本の沿革資料によると、1926年1月、東京にA形、横浜にH形の自動交換局が初めて設けられています。これは自動交換の始まりであって、その時点で全国の交換手がいなくなったという意味ではありません。4

自動交換機は、電話機から送られる番号に応じて、機械が相手の回線を選んで接続します。交換手を通さずに通話できる範囲が広がると、電話をかける人は電話番号を使うようになりました。電話局での接続作業も、交換台を操作する人から、交換機の機構へと少しずつ移っていきます。

NTT東日本の解説では、初期の自動交換方式の1つに「ステップ・バイ・ステップ方式(すてっぷばいすてっぷほうしき)」があります。ダイヤルした数字に応じて交換機の接点(せってん)が順番に動き、回線を段階的につなぐ仕組みです。市外通話(しがいつうわ)では複数の交換機を経由するため、近くの電話へつなぐ市内通話より自動化に時間がかかりました。のちにクロスバ交換機(くろすばこうかんき)が広がると、市外通話の自動化が進み、料金を記録する作業にも機械が使われるようになります。4

1952年に日本電信電話公社が発足したころ、市内通話は自動化されていた一方、市外通話では交換手が接続を担っていました。1967年には県庁所在地級の都市へ市外通話の自動化が広がり、全国で利用できるようになったのは1978年です。地域や通話の種類で切り替えに時間差があったため、「自動交換機の登場」と「手動交換の終わり」は同じ出来事ではありません。4

この移行の途中には、手動の交換台と自動交換機が同じ電話網の中に並ぶ時期がありました。どの方式でつながるかは、住んでいる地域だけでなく、市内か市外かによっても変わります。電話をかける人が番号を使い始めても、その先で交換手が必要な通話は残っていたのです。道具の世代交代は、利用者の操作が変わった瞬間だけでは見えません。局と局の接続まで整うことで、初めて自動でつながる範囲が広がりました。

交換手がつないだ電話は、手動から自動へ一度に置き換わったのではなく、回線の数や距離に応じて変わっていきました。電話番号を押すだけで声が届く今も、相手までの道を作るという交換の役目は通信網の中に残っています。昔の交換台を知ると、電話がつながるまでに人が担っていた仕事と、機械へ移った部分の両方が見えてきます。

注釈

  1. NTT東日本の解説では、初期の電話は交換手に通話先を伝えて接続してもらい、電話機にはダイヤルがなかったとされています。記事では同社の一般向け解説を仕組みの概説として参照し、すべての国・交換方式に共通する詳細な操作手順とはしていません。

  2. 米国国立公園局は、ニューヘイブンの商用交換局が1878年に営業を始めたこと、初期の加入者数、交換台の接続人数、同時通話数を記録しています。交換台の能力や接続数はこの設備についての記述であり、他地域の交換局へ一般化していません。

  3. NTT東日本の沿革資料は、1890年12月16日の東京・横浜での電話交換業務開始と、開始時の加入者数・電話所数を記しています。これは同資料の対象地域の記録で、日本全国の電話普及状況を示す統計ではありません。

  4. NTT東日本の沿革資料では、1926年に東京・横浜で初めて自動交換局が設置されたとされています。同社の解説では、市外通話は市内通話より遅れて自動化し、全国に広がったのは1978年と説明されています。交換方式の移行時期は地域と通話の種類によって異なります。

出典・掲載元

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